三、マレー半島事業 (コンソリデーテッド三五公司リミツテツド)

 

三五公司護謨植林地所在要図

三五公司護謨植林地所在要図

芽接樹ゴム液採集状況

芽接樹ゴム液採集状況

二千六百年植林地開墾焼払作業

二千六百年植林地開墾焼払作業

二千六百年植林地焼払後の穴掘作業

二千六百年植林地焼払後の穴掘作業

更改後の芽接樹1年木

更改後の芽接樹1年木

更改後の芽接樹3年木

更改後の芽接樹3年木

芽接ゴム既成林

芽接ゴム既成林

ペンゲラン植林地第1区更改地全景

ペンゲラン植林地第1区更改地全景

(一)概説

 マレー半島における三五公司のゴム栽培事業はその歴史においても古く、又その規模においても邦人経営中最大のゴム園であるのみならずオランダ領、マレー半島を通じて最大のゴム栽培事業を経営しているダンロップ会社の事業に次いでホーランドアメリカ会社と並び称されている。昭和9年以来各国協定による産限令の生産制限を受けているがなお現在年産額1千万ポンドの生産を挙げており逐年増産に向かっている。植林地総面積4万余エーカー中ゴム栽培面積34,700余エーカーにしてその内22,000エーカーが優秀林となって居て昭和9年最初に植林した優秀林の一部は既に採集期に達するに至りなお年々出来る限り普通ゴム林を優秀林に更改すると共に新植優秀林の造林継続して将来は全園を優秀林とし総面積もさらに拡張せんとしている。優秀林とは多産ゴム樹の植林でオランダ領で成功した芽接の方法によるものが大部分であって実生による多産樹栽培も目下試験中にある。優秀林は従来の普通植林1エーカー当ゴム生産量500ポンドに比し約二倍量の1,100ポンドとなり肥沃地においては2,00ポンド近く迄産出する可能性がある。ゴム樹は植付けてより7,8年ないし10年を経て切付け採液をはじめ40年位生産が続けられる。採集されたラテックス(ゴム液)は原料ゴムとして植林地内の工場において主としてクレープに一部シート(?)に製造され箱詰或はズック袋詰としてシンガポールに送り三菱商事会社およびガスリー商會に依託販売せしめている。

 現地従業員は現地支配人三宅定次氏以下職員総数約60名で使用苦力の総数は実に5千名におよんでいる。

 ベンゲラン植林地                10,541エーカー

 バトパハ植林地                15,889エーカー

 クライブツサール                8,720エーカー

 二千六百年植林地                5,031エーカー

 合計                                40,181エーカー

 昭和9年5月以降各国限産協定成立し当公司ゴム生産量および輸出量も限産協定委員の定むる標準生産量基準として定められることとなった。当公司の標準生産量は左の通りである。

年度別                                    標準生産量ポンド

昭和10年                                 8,724,897

昭和11年                                 9,112,064

昭和12年                                 8,920,899

昭和13年                                 8,884,697

昭和14年                                 9,783,1152

昭和15年                                 9,997,152

昭和16年                                 10,398,745

昭和25年                                 23,600,000(予想高)

(ニ)ぺンゲラン植林地

 明治38年末三五公司は南洋におけるゴム栽培の調査をなしその非常に有望なるを認め当時既に南進日本の意図を持たれていた時の児玉台湾総督の賛成を得て翌39年11月マレー半島ジョホール州ペンゲランに外人所有に係るゴムおよびナツメック栽培の小園を買収し同時に付近隣接地約2千エーカーの土地を租借し開墾に着手したのである。その後明治45年ペンゲランにおいて2千エーカー、隣地サンチにおいて4千エーカーを租借し、支那人所有の三合ゴム園を買収、さらに大正4、5年英人所有のゴム園を買収、大正11年信久園を併合し次第にその地積拡大して今日のペンゲラン植林地となったものでゴム栽培面積は9,250余エーカーに達している。

 本植林地はシンガポールの東対岸ジョホール河口にあって海に面し風光絶佳(ふうこうぜっか)シンガポールより船で3時間(18マイル)で着く。植林地の一角にある六0九高地は遥か西にシンガポールを望む要地で現在は要塞地帯となっている。

(三)バトパハ植林地

 マレー半島ジョホール州西海岸バトパハに在ってシンガポール市より94マイル自動車で約2時間半である。明治42年第1植林地約3,000エーカーを租借し同44年隣接地9,000エーカーを租借し、第2植林地として開墾を始めさらに大正7年前ニ者の間に介在する外人所有のセンブロンゴム園約900エーカーを買収して第1植林地に編入しここに第1第2植林地が接続するに至った。右の第1植林地は現在の第1区第2植林地は現在の第2区である。

 なお本植林地に近くジョラに面積1,000エーカーのゴム園がありジョラ園と称していたが現在バドパハ植林地第3区となっている。これは中村是公氏等の出資により明治43年頃開設せられたものであったが昭和3,4年頃より三五公司が経営を代行して居た関係上昭和8年コンソリデーテッド三五公司リミツテツド創立に当り現物出資となったのである。ジョラ園付近は特に地味豊饒(ほうじょう)である関係上付近を買収して現在2,000余エーカーとなっているがこの2千余エーカーより優に他のゴム園3千エーカーに匹敵するゴムの生産が期待されている。

 本バドパハ植林地のゴム栽培面積は15,400余エーカーに達している。

(四)クライブツサール植林地

 ジョホール州クライに在ってシンガポールより33マイル自動車で約1時間行程である。本植林地は昭和9年10月支那人所有の天成園ゴムおよびパいンアップル植付地6,590エーカーをジョホール州政庁の競売において約50万ドルで落札したのに始まりその後接続園多数を買収しこれを全園芽接優秀林に栽培養成したものでそのゴム栽培面積は8,500余エーカー中第1回新植林地3,900エーカーは今明年中に採集開始の予定である。

(五)二千六百年植林地

 ジョホール州ラヤンラヤン、ジョホールバル、アイルイタムロード35マイルの地点に在って昭和14年12月約5,000エーカーの払下を受け翌年時あたかも皇紀二千六百年に当り記念植林地として命名したものである。本園は昭和10年ペンゲラン植林地の一角六0九高地が要塞地帯として強制収用されたに対し代償として15,000エーカーは現下産限令実施中の関係でパインアップル栽培地としての条件があるがその内1,660エーカーはゴム栽培の許可を受け昭和15年度中に植林を完了しのである。