岩崎久彌と東山事業年表

 

0歳20歳26歳28歳51歳83歳90歳

誕生~青年期米国留学三菱副社長時代三菱社長時代農場経営隠栖生活

1865年(慶応元年)1886年(明治19年)1891年(明治24年)1893年(明治26年)1916年(大正5年)1948年(昭和24年)1955年(昭和30年)

岩崎久彌 略年表/ストーリー

年号/年齢

歴史上の出来事

土佐国安芸郡井ノ口村に生まれる

vol.01 岩崎四代

三菱三代目社長岩崎久彌。初代彌太郎のもとに生まれ、叔父・彌之助の後を継いで社長を20年余つと め、第一次大戦の軍需景気のさなかに彌之助の子・小彌太にその座を譲り、その小彌太をも看取った。わが国の近代化の中で90年の長きを生きた久彌は、何を 考え、何をしたのか…。

慶応元年

/1865
0歳)

  • アメリカ南北戦争(18611865

  • 大政奉還(1867

  • 廃藩置県(1871

  • 新橋―横浜間の鉄道開通(1872

  • 福沢諭吉「学問のすゝめ」(1872

  • 台湾出兵(1874

慶應義塾に入学

明治8

/1875
9歳)

  • ベルが電話機を発明(1876/アメリカ)

  • 西南戦争(1877

  • エジソンが蓄音機を発明(1877/アメリカ)

慶應義塾を退学し三菱商業学校に入学

明治11

/1878
12歳)

  • エジソンが白熱電灯を発明(1879/アメリカ)

  • 板垣退助らが自由党を結成(1881

  • 大隈重信が立憲改進党を結成(1882

父彌太郎没

明治18

/1885
19歳)

  • 内閣制度発足、
    伊藤博文が初代の内閣総理大臣に就任(1885

米国へ留学

明治19

/1886
20歳)

  • ベンツがガソリン自動車を発明(1886/ドイツ)

ペンシルヴァニア大学ウォートン・スクールに入学

vol.02 井ノ口村を忘れず

三菱商会の進出にあわせ、土佐・井ノ口村から一家とともに大阪、東京へと移動。慶應義塾、三菱商業 学校を経て、米国ペンシルヴァニア大学のウォートン・スクールに進んで財政学などを学んだ。祖母・美和の教えを最も色濃く受け継ぎ、若いころから決して奢 らず、他者への配慮を忘れなかった。

明治21

/1888
22歳)

  • 大日本帝国憲法(明治憲法)公布(1889

  • パリ博覧会開催、エッフェル塔が建設される(1889/フランス)

(彌之助、丸の内の土地ほか約10万坪の払い下げを受ける)

明治23

/1890
24歳)

  • 教育勅語発布(1890

  • 1回帝国議会(1890

ペンシルヴァニア大学ウォートン・スクールを卒業、帰国
三菱社の副社長に就任

明治24

/1891
26歳)

三菱合資会社が発足、社長に就任(彌之助は監務に)

明治26

/1893
28歳)

三菱第1号館竣工、本社丸の内へ
保科寧子と結婚、六義園に新居を構える

明治27

/1894
29歳)

  • 日清戦争(1894

銀行部・売炭部・鉱山部を設置

vol.03 事業の多角化と組織の近代化

28歳の若さで三菱合資会社の社長に就任した久彌は日本の近代産業の勃興と発展の時期だった明治から大正にかけての20余年に事業の多角化をすすめ各部への権限の移譲を断行。ワンマン・カンパニー的経営体質から近代的マネジメント・システムへの脱皮を実現した。

vol.05 丸の内オフィス街の建設

久彌の社長在任期間はまさに丸の内オフィス街建設の時期でもあった。社長就任の翌年、ジョサイア・コンドル設計による三菱第1号館が竣工。以後、第2号館、第3号館と続き、ロンドンを彷彿とさせる街並みはやがて「一丁倫敦」と呼ばれるようになった。

明治28

/1895
30歳)

  • 日清講和条約調印(1895

  • 三国干渉(1895

茅町本邸竣工、転居
佐渡・生野両鉱山および大阪製煉所の払い下げを受ける

vol.07 茅町本邸物語

現在「都立旧岩崎邸庭園」として公開されている茅町本邸。ジョサイア・コンドルの設計によるイ ギリスジャコビアン様式を基調にし、久彌が留学時代に親しんだペンシルヴァニアのカントリーハウスのイメージも取り入れた木造の建物に、久彌は家族ととも に50年にわたり暮らした。

vol.06 海から陸へ・鉱業と造船

政府の払い下げを受け、三菱は、明治14年の高島炭坑を手始めに次々に炭坑や鉱山を買収。久彌は更に買い進め、生野鉱山、佐渡鉱山、大阪製煉所の一括落札に成功。また、長崎造船所の常陸丸建造を成し遂げ、海から陸へと事業展開を大きく広げた。

明治29

/1896
31歳)

  • アテネ五輪(第1回オリンピック大会)開催(1896

荘田平五郎を本社管事兼長崎造船所支配人として長崎に派遣

vol.04 久彌を支えた人たち

人を信頼し人に信頼された久彌は優秀な専門家や経営幹部を抜擢し事業を任せた。中でも荘田平五郎と豊川良平の存在は大きく、荘田は日本郵船ほか多数の企業創立に参画、長崎造船所の支配人、東京海上、明治生命の会長などをつとめ、豊川は政財界に人の輪を広げて久彌を支えた。

明治30

/1897
32歳)

  • 民法全編施行(1898

  • 戊戌の政変、西太后が実権掌握(1898/中国)

小岩井農場、岩崎家の所有になる

明治32

/1899
34歳)

  • 日英同盟締結(1902

  • ライト兄弟が動力飛行に成功(1903/アメリカ)

神戸造船所を開設

明治38

/1905
40歳)

  • 日露戦争(19041905

  • アインシュタインが特殊相対性理論を発表(1905/ドイツ)

副社長に小彌太を任命

明治39

/1906
41歳)

  • 鉄道国有法公布、施行(1906

朝鮮半島において東山農場を開設

明治40

/1907
42歳)

彌之助没、会社職制改革・各部独立採算性の実施

明治41

/1908
43歳)

  • 愛新覚羅溥儀が清の皇帝に即位(1908/中国)

  • 大逆事件(1910

臨時北海道調査課を設け北海道の炭坑開発に着手

vol.08 今は役目を終えた事業

今はないがかつて久彌が情熱を注いだ事業がいくつもある。現在の東北本線にあたる上野―青森間の鉄道建設を始め、山陽鉄道、九州鉄道、筑豊鉄道、北越鉄道などの私営鉄道事業への出資や米作、発電、水道事業など。それぞれに時代の役割を果たした。

vol.09 神戸の紙と横浜のビール

彌太郎の時代から交流があったウォルシュ兄弟が神戸で経営していた製紙工場を買い取り神戸製紙所(後に三菱製紙)を設立。また、横浜では明治屋、日本郵船と共に麒麟麦酒(キリンビール)を設立。起業家への支援も盛んに行った。

明治44

/1911
46歳)

  • 第一次世界大戦勃発。日本、対独宣戦布告(1914

社長退任(小彌太が社長に)

vol.11 小岩井の四季

小彌太を副社長に迎えた頃から久彌は多くの時間を小岩井農場で費やすようになった。牧畜のみなら ず、競走馬の育成やホルスタイン牛の酪農製品の製造販売にも注力。農作は燕麦、とうもろこし、じゃがいも、大豆など。地道な植林事業により、かつては見渡 す限りの荒野だった大地を緑の森に変えた。

大正5

/1916
51歳)

  • 第一次世界大戦終結(1918

  • 国際連盟発足(1920

  • 中国共産党成立(1921

  • ソビエト連邦設立(1922

  • 関東大震災(1923

資本金500万円を以って東山農事株式会社を設立し大正8111日営業を開始

大正8
/1919
(54
)

東山農事株式会社は事業の発展に伴い大正9年には資本金を1,000万円に増資

大正9
/1920
(55
歳)

深川清澄別邸を東京市へ寄付、(財)東洋文庫を設立

vol.10 社会のために

社長時代に事業の社会性や公正な競争に心をくだいた久彌は、引退後も農牧事業のかたわら、社会への貢献に気を配った。その最たるものが東洋文庫の設立であり、清澄庭園、六義園の東京市への寄付といえる。

大正13

/1924
59歳)

  • ラジオ放送開始(1925

  • 普通選挙法公布(1925

2月、坂本正治47歳 東山農事株式会社の取締役に就任

大正14/1925

(60歳)

ブラジルで農牧事業を開始

桐島像一 東山農事専務取締役退任

坂本正治50 東山農事専務取締役就任

昭和2

/1927
62歳)

  • 5.15事件(1932

  • ヒトラー内閣が成立(1933/ドイツ)

  • ニュー・ディール政策(1933/アメリカ)

  • 2.26事件(1936

  • 日中戦争(1937

昭和4年にはオランダ領スマトラに東山栽培株式会社を設立
2月18日、君塚慎37歳 東山農事株式会社へ転勤。サントス駐在員首席としてブラ ジル勤務

昭和4

/1929

64歳)

昭和6年よりオランダ領スマトラのアジャム園の開発に着手

昭和6

/1931

(66歳)

111日図南産業株式会社設立資本金全額払込済60万円

昭和11

/1936

71歳)

3月、坂本正治(59歳) 東山農事株式会社の取締役会長に就任

10月、 君塚慎46歳 東山農事株式会社取締役となって、伯国東山事業総支配人に昇格

昭和12/1937

(72歳)

駒込別邸六義園を東京市に寄付
4
1日小岩井農場を株式会社に改組し小岩井農牧株式会社を設立

昭和13

/1938
73歳)

  • 第二次世界大戦勃発(1939

  • 日独伊三国軍事同盟(1940

  • 太平洋戦争開始(1941

朝鮮江原道に土地を買収し城山農業株式会社を設立

8月三五公司の愛久澤直哉氏が病没したので12月より東山農事株式会社において経営する事となった。

8月君塚慎48歳 東山農事株式会社の常務取締役となって、在伯11年で、帰朝した。

昭和15
/1940
(75
歳)

妻・寧子没

昭和19

/1944
79歳)

岩崎小彌太社長没

7月、坂本正治 67歳 東山農事株式会社社長を辞任

昭和20

/1945
80歳)

  • 第二次世界大戦終結(1945

  • 国際連合成立(1945

((株)三菱本社解散)
9月、君塚慎54歳 東山農事株式会社の社長

昭和21

/1946
81歳)

  • 持株会社整理委員会令公布(1946

  • 日本国憲法施行(1947

3月、君塚慎56歳 東山農事を退社、東山企業株式会社を創設し、 その社長となった。

昭和23/1948
(83
歳)

末広農場(千葉県)に隠栖

vol.12 末広農場の日々

戦後、財閥家族に過酷な財産税が課された。久彌は茅町本邸を離れ、末広農場に移り住んだ。エリザベス・サンダース・ホームを開設し、混血孤児たちの救済にあたる長女・澤田美喜の相談にのった。昭和30年の冬、静かに90年の生涯を終えた。

昭和24

/1948
83歳)

  • 中華人民共和国成立(1949

  • 湯川秀樹、日本人初のノーベル賞受賞(1949

  • サンフランシスコ講和条約調印(1951

  • 日米安全保障条約調印(1951

(三菱本社清算を結了、三菱の商号使用制限解除)

昭和27年 (1952)7月、君塚慎60歳 ブラジル大使

昭和27

/1952
87歳)

  • 国際通貨基金(IMF)に加入(1952

  • NHKテレビ放送開始(1953

122日、末広農場の別邸に没す(徳幢院壽岳明輝居士)

昭和30

/1955
90歳)

  • 関税および貿易に関する一般協定(GATT)に正式加盟(1955

  • 国際連合に加盟(1956

(年齢は西暦の誕生日における満年齢)