朝鮮支店

 

一、沿革

当支店の前身東山農場は明治40年1月の創始され当時は京城に本部を置き、京畿道水原、全羅北道全州および全羅南道栄山浦に支部を設けて三菱合資会社に委託経営されていたが大正8年11月1日当社設立と同時に当社の経営に移り朝鮮支店と改められた。その後各支部は出張所と変わりさらにそれぞれ農場と改称され現在は支店本部は水原駅前に京畿農場は本部と同所に、全北農場は完州郡東山里に又全南農場は湖南線羅州駅前にそれぞれその本拠を定めるに至った。

二、事業概説  京畿農場、全北農場、全南農場

朝鮮支店構内全景(京釜線水原駅前)

朝鮮支店構内全景(京釜線水原駅前)

全南農場小作料収納状況

全南農場小作料収納状況

支店の事業は主として米作であって所有地は京畿道、全羅北道、全羅南道の三道にわたり総面積は約5千町歩で殆んどこれを小作に付しその小作料は年収籾約5万石におよんでいる。この小作料は最近迄それそれ各農場設備の工場で脱稃調製の上玄米のままで主として大阪に移出し三菱倉庫会社の手に委託処分していたが市場では東山米または(丸東)の名を以って鮨米或は上流向飯米として愛好されていた。しかし米穀の国家管理となるや地元糧穀組合の手に委ね直接内地市場に送られなくなった。

さてこれが経営に当たっては大体農村各部落毎に小作人組合なるものを組織せしめて農事指導啓発に邁進し現在ではその総数146組合となり小作人は3,600戸におよんでいる。これら小作人が農事の改良発展と農家経済の向上を図る為には相当の資金を必要とし各組合にこれが基金を造ることの急務を認めたので組合員に対しては毎年一定の金額を積立てさせ会社からはまた一定金額を補助する事としてこの両者を合わせて「農業資金」と称し右の目的の為に利用させている。現在ではこの総額約55万円に達しておりこれを肥料農具の買入ないしは農耕資金等の必要に応じてそれぞれ有效に運用している。その上さらに小作人の生活の安定を計り農事に精励さすため大正11年より家計整理の目的で高利他債を整理さす為に社金50万円を以って小作人の旧債整理にあたらせることにした。これは当時当局はじめ地主ならびに一般の括目するところであった。右社金は低金利で年賦償還の方法で返済させる方法を採ったが非常な効果を挙げ小作人としてはこの恩典により生活の安定を得たもの極めて多く現在では右貸付金を完済して殆んどその目的を達したと見られる状態である。これら諸工作はいずれも小作人と会社の共存共栄を主眼としたものであってこの他産米改良増収、自給肥料の造成或は有畜農業の助成を計り又水田の裏作としての麦、緑肥等の作付けや朝鮮における旧来の悪習を打破して婦人の外業や副業奨励等皆共栄の理想を以って不断の努力を続け来つたのであり事実朝鮮農界の為に些(いささ)か貢献しつつあるものを確信する。

現在職員雇員総数75名で幹部は左の人々である。

取締役朝鮮支店長 徳弘国太郎

朝鮮支店副長京畿農場長(兼)守田亶

全北農場長 奥薗信雄

全南農場長 横山国高