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 2013年6月10日
2009年 12月 26日 (土)

■ 〈賢治の置土産~七つ森から溶岩流まで〉140 岡澤敏男 本邦唯一の木造四階倉庫

 ■本邦唯一の木造四階倉庫

前回の写真にあった四階倉庫は小岩井農場独特の素晴らしい建築物です。この倉庫は戸田務場長(第四代目農場長)が欧州を視察した際にオランダで見たものを参考にして大正5年(1916年)に作られました。

本来は馬の主食である燕麦の乾燥用の倉庫だが、大豆や玉蜀黍(とうもろこし)の乾燥・俵詰め、大豆選種作業にも使われました。

母屋は東西10間×南北8間もあり延320坪にも及ぶ本邦唯一の木造四階倉庫です。

この倉庫にはエレベーター、エスカレーター、斜形の樋(4階から2階まで)など斬新な設備が完備されていました。

古色蒼然たる現在の建物からは想像できないが、当時は、白木造りで2階から4階までは四方ガラス張りで朝日にギラギラ反射し輝いていたという。また屋根の 外装は新築時には柾葺(まさぶき)だったが大正8年鉄板葺に改装されたので日光に反映し、「そら、もう向ふに耕耘部の/亜鉛の屋根が見えて来た。光ってる ぞ」(「小岩井農場」下書稿)と述べ、その「光る屋根」が遠隔地からもよく見えたので「小岩井の耕耘部の小さく光る屋根を見ました」と「母に言う」(〔野 馬がかってにこさへたみちと〕の先駆稿)で述べている。

四階倉庫の「光る屋根」はまさに小岩井の塔(望楼)的存在だったのでしょう。

このように光っている鉄板葺屋根を「塔中秘事」の下書稿(一)では「藍銅鉱 今日もかゞやき」と藍青色の光沢をもつ鉱物「藍銅鉱(アズライト)」で比喩 (ゆ)し、また四方ガラス張りという偉容には「ガラス窓さへたゞならず」と述べ、明らかに四階倉庫をモデルとしてるわけですが「大豆倉庫は三階にして」 と、賢治はなぜか「三階」にこだわっているのです。

小岩井農場に三階の建物が存在したことはなく、最初は賢治の錯覚かと疑いました。ところが四階倉庫は穀物の倉庫では第三番目に建てられ帳簿上は〈第三号倉庫〉となっており、業務上では三号倉庫と常々呼んでいたと耕耘部の古老から伺いました。

そこで、この「三号倉庫」を「三階倉庫」として観念連合したかとも推察しました。しかし耕耘部に精通する賢治には四階倉庫を三階倉庫と錯覚する可能性は乏 しく、この作品の「三階倉庫」は意識的に虚構されたものであって、「三階」こそはテーマとかかわる重要な要件とみなされるのです。

まず下書稿(一)の原形に手を入れて「これはこれ岩崎と呼ぶ/大ブルジョアの農場なれば」を削除しました。これによって作品現場を小岩井農場のイメージか ら解放させ、三階倉庫は四階倉庫とは無関係の存在として現象させるのです。そのために大豆倉庫に手を入れ三階倉庫の由緒をつぎのように創出しました。

そのかみの博物館を
いま大豆の倉庫としたれば
三階に玻璃を装へる
そのすがたまたたぐひなし

賢治が博物館とよぶのは小岩井農場の陳列館を指していることは「前にはいちいち案内もだし/博物館もありましたし」と「遠足統率」の詩にもみられます。こ の陳列館は明治42年(1909年)に開館され昭和8年(1933)に閉館されるまで、大豆倉庫へ転用の事実はなく明らかに賢治の虚構です。陳列館を三階 倉庫に転用すべき真の意味はどういうことだったのか。


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2月 082013
 
 2013年2月8日

新聞記事文庫 日本の対外貿易(37-162)
台湾日日新報(新聞) 1941.7.2(昭和16)


仲継貿易の復活

主要港の倉庫完備が急務

三菱商事台北高雄支店長 山口勝氏談


三菱が初めて台湾に進出したのは明治四十三年頃で台南州斗六郡林内庄に製紙工場を設け台中州竹山郡に叢生する竹林を目標に我が国最初の竹材パルプの製造に 着手したが不幸にして創業早々から再三風水害を被った上に竹林地帯に於ける小作人関係と一つは当事は尚技術的研究不十分にして採算的にも引合わなかったと いうような事情で大正二年に工場を閉鎖し内地に引揚げたという歴史が残っている、それから□年後現□拓社長の加□□平氏が三菱商事の香港支店長時代に台湾 の石炭に着眼して基□に出張員を□□台湾□の南支及び香港輸出に力を注いだのが動機となって二度目の台湾進出となり昭和二年に台北支店を開設次で高雄にも 支店が開かれ往年の竹材パルプ経営の因縁からして

[写真あり 省略]

斗六郡下で鳳梨栽培並に缶詰製造を始めたようなわけで此の事業は其後台湾合同鳳梨へ譲渡したが、別に三菱系東山農事会社の子会社として図南産業を創立杉、油桐の造林や桐油の製造及び竹材の利用意義ある仕事に従事している
此の外時局産業として発展しつつある日本アルミは三菱が最も関係深く又基隆と高雄に事業地を持つ台湾船渠も三菱の資本と技術が中心となっている、 商事会社としては一昨年督府の管理実施となるまで台湾米の移出に努力し、砂糖は三五公司源成精糖の一手販売と明糖の島内販売を引受けて居り台湾パルプも当 社が代理店となっている、其他肥料石炭、麻袋、アンバラ等扱い品目は頗る多い、廈門出張所は台北支店に所属し南支方面に供給する南洋からの食糧、内地から の雑貨等を扱っている、南支の治安回復経済開発に伴い軈て台湾を中心とする仲継貿易が復活する暁には台湾の使命は更に重加することとなるべく此の場合基 隆、高雄及び目下工事中の新高港に倉庫施設を充実完備することが是非必要である、南支、南洋に対し食糧、肥料、建設材料及び雑貨類を供給する場合台湾の主 要港にそれらの貯蔵が出来れば台湾の仲継貿易は必らずや非常な発展を来すものと確信する又台湾の工業化と南洋との関係についてみても先ず以て物資の移動径 路を綿密に調査した後、計画する必要がある、タトヘば従来南洋から一旦内地へ輸入された建築材料が更に台湾へ移入されている事実があり之等は宜しく直接輸 入の途を開くべきである、又事変前には南洋から内地へ輸入された小麦を原料としてつくった麦粉を再び南洋に輸出したものであるが、之等は宜しく距離の近い 台湾で製粉した後、南洋に輸出すべきではあるまいか、台湾の南方発展に就ては工業化と共に仲継貿易の将来に就いても併せ考えると共に施策宜しきを得なけれ ばならぬと思う
(写真は山口氏)


データ作成:2008.3 神戸大学附属図書館