南米事業

 

カーザ東山

ブラジル(伯国)事業地略図
カーザ東山事業地所在要図

沿革

 当社南米事業は遠大なる理想の下に着手した事業である。即ち南米諸国の内移民を通じ我国と最も親密な国交関係にあるブラジル国を事業地に選定し、共存共栄の理念の下に彼地に農、工、商のあらゆる部門にわたる総合的企業を樹立し、同国の産業開発に貢献すると共に一方相互扶助の精神を以て今日20万に垂んとする在伯同胞の経済生活の確立に寄与せんとするの趣旨に発足したものである。

 今我社南米事業の発展の歴史を辿り(たどり)見るに昭和2年ブラジル国サンパウロ州カンピーナス市近郊に3,700町歩にわたる農園を選定買収し、翌年さらに同州ピンダモニヤンガーバ駅付近に約6,270町歩の農園を買収合併し、モンテデエステ農場と称してコーヒー、米其他雑作類の農業経営および牧畜を創めたのを事業の濫觴(らんしょう:起源)とする。次いで昭和3年サントス市にカーザ東山(創業当時はブラジル法律上は水上商會なる別号を用いた)なる資本金1,000コントスの合名会社を作りブラジル農産物の主宗(しゅそう)たるコーヒーの取扱に染手したのが今日のカーザ東山商事部門の起こりであって、ブラジル商業界、金融界邦人進出のトップを切ったものである。このコーヒー取扱の業務は現地ではコムミツサリオ業と稱し、邦人生産コーヒーの受託販売および之に付随した金融業務を兼ね行うもので今日百数十商社を数えるサントスコーヒーコムミツサリオ中に伍し(ごし:なかま)邦人として唯一の会社でその活躍は異彩を放っている。

 爾来このコムミツサリオ業を中心として商業部門の拡大、農事部門の整備に努力する傍ら(かたわら)、漸次工業部門への進出を試み、何れも堅実なる発展を遂げつつある現状である。即ち商事部門では昭和八年にサンパウロ市に支店(現在の本店)を設置し対日輸出入業務に従事し、さらに昭和15年には首都リオデジャネイロ市に支店を増設し一層取扱商品の分野種目を拡大した。資本金も現在は公稱3,500コントスに増資し会社組織も改めて有限責任持分会社に変更した。

 工業部門は農、商部門よりは遅れて染手したが昭和10年カンピーナス農場内に清酒醸造工場を設けたるを手始めとし、昭和12年にはサンパウロ市に絹織工場を買収経営に乗出し、さらに昨15年カンピーナス農場内に東山肥料工場を建設し、又サンパウロ市内に工作機械、鉄製品の製作を目的とする東山鉄工所を開設し何れも他日の飛躍を期しつつ着々体制を整備しつつある。なおカンピーナス農場内には別に柑橘加工工場を設置し柑橘加工品の製造試験中である。

 金融方面に於いても従来のコムミツサリオ業を通じて行う農業金融の別働補助機関として亦一方邦人殖民者の貯蓄利殖に資するため昭和8年ブラジル銀行法に基く銀行を開設し邦人金融業務に新たなる分野を開拓した。

 斯の如く(かくのごとく)事業の種目も多岐に亘り営業規模も拡大したため之が機構整備のため昭和14年全事業を「カーザ東山」なる名稱の下に包容し(旧来通稱カーザ東山と稱呼したるは現在の商事部門に当たる)本部をサントスからサンパウロに移しその統制指揮下に全事業を左表の如く七部門に分掌運営し各部門間の連絡も完全ならしめている。因にカーザ東山本部を社内関係においては総支配人室と呼稱している。昭和15年初代総支配人君塚慎氏本社転任の後を享け(うけ)現在山本喜誉司氏カーザ東山総支配人として采配を振って居り、職員は各部門を併せ58名で他に邦人傭員(よういん)106名外人傭員12?名総計302名におよんでいる。

カーザ東山本部(総支配人室)

部名                 営業種目

商事部              農産物一切取扱、外国貿易業務

農事部              農産、牧畜、植林

銀行部              預金受入、貸付

工業部              絹織工場、農産加工、醸造業、肥料工場、鉄工所

地所部              不動産売買、管理

総務部              新事業企画調査、人事、社規、其他各部に属せざる業務

経理部              會計経理監査に関する業務

以下各部門の事業内容に付稍々詳細に解説し参考に供したい。

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