(三)農事部事業

 

 我社が南米事業の第一着手として東山農場を経営に染手したことは初頭において述べた通りである。此の(この)ことは我社が本来農事会社であるという性質に基いたことは勿論であるがさらに亦次に述べる如き深遠な意義に発足するものである。即ち我社事業創始の趣旨はブラジルに巨額の永久的投資を行ひ農工商あらゆる部門の綜合的企業を樹立するに在り従って一時的に駐在又は出張し商取引を成立せしむる類の貿易業務等とは自ら異り、永遠にブラジルの土地を基としその土地に即しその土地の根を据へ、其土地と共に存し共に栄へんとする高遠なる理想を有するものである。元々ブラジルは農業国であり、農本の国である。その故に我社が定着的に漸次的に倦まず橈まず(うまずたゆまず)将来の大成を期しつつ力強き歩みを続けるためには先ずその国の国本たる農業を第一に着手すべき事業なりと思惟(しい)選定した所以である。

 現在我社東山農場はカンピーナス、ピンダの二場を所有し、従来ブラジル農業の欠陥であった単作農法を避け、多角農業経営を行ひ既に十数年の永き経験と歴史を有しブラジルにおける有数の模範農場として不動の地位を獲得している。

(イ)カンピーナス農場

カンピーナス東山農場放牧場

邦語名   カンピナス東山農場

伯語名 ファゼンダ、モンテデエステ

 内地では東山カンピナス農場として知られているが現地では伯語名ファゼンダ、モンテデエステとして人口に膾炙(かいしゃ:広く知れ渡る)せられ内外人間(ないがいじんかん)に余りにも有名である。サンパウロ市から汽車で1時間40分、カンピナス駅に着き、ここよりやく12キロ、自動車で約20分、早くも東山農場入口に達する。そもそもカンピナス地方はサンパウロ州中でも最も早く開けたいわゆる旧地帯に属し、地味肥沃(ひよく)、有名なテーリヤロッシャ地帯はここから始まる。農場は海抜550米から800米前後の高地になだらかな起伏をなす丘陵を形成し気温平均一九度内外でほぼ内地の気候と同じであるが雨量およびその配分も農作に適切申分無く又高所である関係から霜害(そうがい)の危険も少なく農作には全く天賦の条件を具へている。場の中央が農場中最高地を形成し此所(ここ)より望めば所々に残された原始林に囲まれた整然たる緑の耕地が見渡す限り展開せられ又農場北境を西に流れるアチバイヤ川の湍流(たんりゅう:急流)はその流域の景勝と相俟て(あいまって)美麗なるパノラマをなし訪る者をしばし恍惚こうこつたらしめるものがある。

 本農場は昭和2年既成小コーヒー農園を併合買収したものであるが総面積3,700町歩、事業はコーヒー、柑橘、牧畜外に綿花、桐油、トウモロコシ、米其他雑作を行ひさらに植林事業に迄およびんでいる。コーヒー樹20万本年産四、5千俵、柑橘樹数約4万本規模においてブラジル屈指のもので現在は未だ幼樹多きため年産4、5万箱に過ぎないが数年後には10万ないし15万箱の収穫が予期されている。今次欧州大戦勃発までは欧州市場に直接輸出し好評を博して居たが輸出杜絶の現在は之に代へるに加工、缶詰を以てし工場建設其他諸般の準備を進めている。牧畜は牛を主とし繁殖牛と食用肥育牛の二部に分ち遂年その繋畜(けいちく)数を増加させている。

 斯の如く(かくのごとく)当農場はその経営の合理化および設備の整頓等の点ではブラジル有数のもので常にブラジル農政当局者の推稱を受け内外人農業者の参観も多く日本の農業技術の紹介をなし延いて(ひいて)実地に教示を行ふなど内外人農場の指導的役割を演じている。

 なお当農場がブラジル農界に寄与している実例の一、二を挙げれば

(1)ウガンダ蜂の飼育 サンパウロ州コーヒーの害虫ブロッカを退治し得る唯一の武器たるウガンダ蜂(原産アフリカ)を同国生物学研究所が1931年に輸入したが飼育上の煩鎖(はんさ)および困難を征服し兼ねて一般に普およびしなかったのを当農場は真先に之が飼養繁殖を計り細心の注意を以てことに当たったのでさしも大害(だいがい)を恣に(ほしいままに)して居たブロッカを退治することに成功したのである。 茲(ここ)においてブラジル農業協会は之が飼養の経過公表を当場に要請し、又生物学研究所の推薦により内地分配向種蜂の供給を行ふ事となりさらに海外に迄輸出さるゝに至った。

(2)ゼブー種牛の入賞 1938年の第7回全伯畜産共進会においては本場産ゼブー種バロン号は牛の本場ミナス州産牛を凌(しの)いでチャンピョンシップを獲得し大統領賜杯(しはい)を授与されさらに1940年にも当農場産ガンジー号が優勝の栄誉を肩ふた(???)。この事実はブラジル畜産界における一大驚異として斯界(しかい)人士に感銘を与えた。元来種牛の改良は一朝一夕に出来る事業ではなく当農場においてはゼブー牛育成開始以来8年の星霜(せいそう:年月)を経幾多の難関を征服して今日の栄誉をえたのである。

 以上の事件は只(ただ)に本場の名誉に留まらず在留邦人が如何にブラジル産業の進歩に貢献し農業を通じ日伯親善に寄与しつゝあるかの顕著な事例と信ずるに付特記する次第である。

(ロ)ピンダ支場

邦語名              ピンダ東山農場

伯語                 ファゼンダ、モンテデエステ

 当農場はサンパウロ市とリオ市の中間に位し、中央線ピンダモニヤンガーバ駅に近い。場内戸数約220戸、人口1,000人内外で米作と牧畜を主体とし其他雑作をしている。米作は最も大規模に行っているもので、従来サンパウロ州では陸米(りくとう / おかぼ:畑で栽培される稲)のみであったものを当農場は率先して灌漑水田に着目し日本式水稲(すいとう)栽培を行って成功を収めている。現在作付6百町歩におよび収穫籾約1万3、4千俵に達しているが後に工業部門で述べる東山酒造工場醸造銘酒「東麒麟」の原料米は当農場産のものである。

 牧畜は牛の繁殖と肥育を主とし肥育牛はミナス州より痩牛(そうぎゅう)を買入れこれを当農場に放牧し数ヶ月間肥育して食用として市場に出している。これらの外澱粉採集のマンジョカ芋の栽培および之が製粉事業も行っている。 

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